まみねこLIFE

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ことのは置場

あい


愛。
日本語ひらがな50音の、はじめの二文字であり、
青は藍より出でて藍より青し
あいはeyeの読みであり
愛はloveをさす

恋は、変わる心、惹かれて好きになることで心の変わる様、と書いたり
愛は心を受けると書いたり

愛とは?

今の私にとって(前提)
愛はloveであり、
loveは世界平和です。




日本における、愛とは。

明治以降にloveという言葉が日本に入ってきて、それを翻訳するためにあてた言葉が、愛。
それ以前の日本では、愛は何と表現したでしょう。
愛を知る前の日本で、人の心をつなぐものは、
情となさけ、だったそう。
だから日本人は、愛情、と言うんですね。

その当時に、愛という言葉に慣れない日本人が、慣れなくとも照れながら不器用にも、愛してると言ってくれる様を思えば、
相手を喜ばせようとの意思を感じられる、なんとも言い換えられぬ嬉しさのあったことでしょう。

気持ちを伝える言葉は、愛でなくとも足りていた。慣れた表現が他にたくさんあった、その中で慣れない新しい言葉と表現を選んで使うのは、相手を喜ばせるために他ならないのでは。

ですから日本人は、愛してるという言葉が大好きです。
そういった経緯で、愛してるは、恋人の心をぐっと惹く言葉となったからです。

好きだ、というのと、愛してる、というのとで
言語からみた視点での大きな違いは何かというと
好き+だ/である、というのは、形容動詞です。状態を表す=形容する動詞です。
愛してる、というのは、動詞です。

英語では
アイライクユーもアイラブユーも
この使い方のときはlikeもloveも動詞です。
日本語にあてるなら、私はあなたを好いています/私はあなたを愛しています(どちらも動詞)

形容動詞と動詞では
どのくらい能動的であるかの印象に差が生じます。
なんとなく好きなことは大いにありますが、なんとなく愛することは想像に難いですね。
能動的であるとは、自ら動く意志があること、
好きである状態を表す形容動詞より、
愛する、愛してる、と、動く詞の動詞の方が、自ら動く能動的な意思をより強く感じるものです。

だから日本人は、愛してるという言葉が大好きです。
強い意志を感じて心が動くからです。

大好きな言葉は、どんどん使うので流行します。
今までのものより心を動かす言葉の力あるものが、流行ります。
日本は異国文化を魔改造する国と民族なので、好きなものはもっと好きなものに魔改造して更に流行ります。
愛をより好きな言葉にしたものが、愛情といえるでしょう。

そうして本来のloveの意味から離れます。
日本で魔改造されたものは、それを日本に持ち込んだ元の国では理解されないものへ変貌します。

つまり、結論として
私が言いたいことは
今となってはアイラブユーと愛してるは違う意味を持つ、ということ。

日本人がアイラブユーと言うのも
外国人が愛してますと言うのも
どの文化圏において自分自身の価値体系を築いたか、それによって言葉を発する心の在り様が違います。
言語の違いは文化の違いであり、文化の違いは価値体系の違いです。
それを理解した上で発した異国語でなければ、異国人と同じ意味での異国語を使えたとは言えないでしょう。
もちろん、異国人と交流をしたいなら、異国人と違う意味であっても異国語を話して使うことはどんどんすべきです。
国内であっても、方言や訛りに同じことが言えると思います。
慣れない言葉を慣れないながら不器用ながらも発するからこそ、聞いた人の心が動くというのは、愛してるの言葉で述べた通りです。
使いながら理解を深めていくものが、言語学です。

そして、相手に愛を伝えようと努力する人の様子は、
言語も国も文化も、どんな壁も越えるのではないでしょうか。

命の責任

怒りや憎しみなど
とうに消え果てようと

絶対に許されないことをされたら
絶対に許しちゃいけないのだ

関係修復ができて
仲良く接するようになったとしても

あるいは関係修復が不可能で
関係を絶ったとしても

許しちゃいけないことは
許しちゃいけないのだ

相手がどういう心境で
どんなに身を切る思いで
許されないことをしたのか
それを理解しても
それに同情しても
許しちゃいけないのだ

責任を負ったなら
責任を取り
責任を果たし
それを継続せねばならない

それを放棄され
命を放棄されたら
決して許してはならないのだ

父のことも
夫のことも
私のことも
あるいは他にも
私の命に責任があり、放棄した人たちを

怒りも消え
恨みもせず
憎んでいなくとも
どんなかたちでケジメをつけたとしても
私は許してはいけないのだ

許しては、いけない。
許さないことが、私の責任であり、役割でもある

過去を掘り返して責めるのでもない
いつまでも弱味のように握るのでもない
ただ単に純粋に
許されないことをしたのだと、許さないのだと
無かったことにはさせない

誰にも
誰の命も
軽んじることを許しちゃいけない

それは、私は他の誰よりも
私が私自身を許してはいけないことだ

許されないことを私は私自身にしたのだから
生涯をかけて、私は責任を果たすのだ
私自身の命の責任を

強く

私のこと好きになるより
私のこと嫌ったり憎んだりしてみてよ。

好きで盲目なんかにならないで
私のことを疑って
ボロが出ないかとつついてみてよ。

好きより強い感情を抱いてくれたら
あとは、心の中で
君がその感情をどうするのか、
それは君次第。

誤解されないための努力は、もちろんするけど
誤解したままの方が楽だと言う人には無理を言わない

嫌いを克服してもしなくても
憎むを許しても許さなくても
見るのも嫌で忘れても
わたしを

私を嫌い続けるなら
私を憎み続けるなら
それでもいいから

そんなに強く、想ってもらえるなら
それが嫌いでも憎しみでも

ごめんね私は
とっても幸せ

つれづれ

ブログに書きたいほどの思いが無い日常。

走り出したい思いはあれど
ゆっくりやれと言うかのごとく、体は風邪をこじらせている

時間は有限なんだ
だから早く、あれもこれもしたい
けれども
ゆっくりやれと、体が泣くから

バランス
などと思ったりもする

本来は、
対比してバランスを取るようなものでなく
全てが一体であるはずなのに

個別に部分を見る方が、わかりやすいのは
視野が狭い小さな私だからだ

小さな私に見えること
大きな私に見えること

それぞれ違って当然だけど

大きくも、小さくも
自由自在の視点を持ちたいものだ


わたしたちは
全なる一であり
一なる全なのだ


忘れやすい、ことだなあ

いい子

私は良くも悪くも、いい子です。
いい子であることが時と場合によって
強い攻撃力を持つことを知っているいい子です。
むしろ演技です。
私のいい子の仮面は幼少時より押し付けられ顔に貼り付いて離れない板に離れぬ身に付いたいい子です。


いい子が攻撃力を発揮する場面は。

  • いい子に攻撃した相手への笑顔対応カウンター

これは相手の良心にダイレクトアタックします。
これによって相手は更にいい子への攻撃を増します。
いい子を怒らせることは出来ません。
いい子は泣き顔で笑います。

  • いい子との縁を切ったつもりでいる相手への笑顔メッセージ(新年や誕生日など)

これは何年も続けられる可能性があります。
誕生日のたびに自分が攻撃したはずのいい子からおめでとうメッセージが来ます。
過去に自分が人を攻撃した事実と、認めたくない過去の自分を何年にも渡って見せつけられます。

  • 正論アタック

いい子のいい子理論を論破することは出来ません。
いい子は大衆が喜ぶ善悪の価値観を知っているいい子だからです。
委員長タイプよりも面倒な相手がいい子です。



昔それがベストだと思ってしていたことが
人を不快にさせる事だったんだなあと
理解した途端
攻撃力を行使したい時には少しくらいはイヂワルできるようになりました。

今しばらくは
ボーッとしていたい

大樹

綺麗なものしか見たくなければ
上ばかり見て、つまづくだろう

地面は泥や草露で足を汚すこともあるけど
地に足をつけ、地に根ざし、

大きな樹木のように大空に手を伸ばしたい

しっかりした根があってこそ
幹が太く
動じない大樹になれよう

ボットン便所

昔の人は糞尿を肥料に、ん、今もしてる場所ありそ、いやまて、

 

私ギリギリ自分のうんこを肥料にして育った作物を食った可能性あるぞ。←

 

 

子供にとってのボットン便所の怖さは、落下に対する恐怖なんだよ、

だから夜は暗いからもっと怖いんだよ(母屋から離れているとなおさらのこと)

 

 

 

私は早く寝るべきです

28時間ほど起きてて出てきた言葉がうんこなら寝るべきです

 

うう、なんで薬のめないの、謎、つらいこれ