まみねこLIFE
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まみねこLIFE

ことのは置場

妄想

守りたいって言われてみたいが
自分のことは自分で守れるわいとも思う
意地を張るなと言われてみたい
強がるなと

意地を張らなくても大丈夫だと
強がらなくても安全だよと

全ての力を抜いて脱力できるくらいの
安心できる居場所が欲しい
薬を飲まずに眠りたい

私の屁理屈をふさいで
体なしに、言葉なしに

心だけ抱きしめてほしい


アーカーシャ

いやだ

流されるのはいやだ。
ゆっくりでじれったくても、
早くて目まぐるしくても、
私に私らしく生きさせて。

let me live

怖いもの

怖いものは
あんまりない
思いつかない
いちばん強くて、
いちばん怖いのは
自分自身

心が傷ついても
体が傷ついても
嫌になるほど、
治ってしまうから

心の感度が
高いまま生きたいから
心にドアも壁も無いから
自由に感じ
何に傷付き何に震えるか
それは私が選べること
私の心はどこまでも自由で
私の心を傷付けられるのは、
私だけだと知ってるから

怖いものは
少ししかない

痛みなら怖くない
治るから
悲しみも味わい深い
癒えるから

身を切るほどの痛みも
しゃぶりつくすんだ
そしていつか
活かす

私は
わたしは
1人で何でも出来るようになるたびに
それが淋しい

マインドセット

最近知った言葉。

「マインドセットとは、経験、教育、先入観などから形成される思考様式、心理状態。 暗黙の了解事項、思い込み(パラダイム)、価値観、信念などがこれに含まれる。 マインドセットという言い方は、人の意識や心理状態は一面的なとらえ方はできず、多面的に見てセットしたものがマインドの全体像を表しているということから来ている。」

あと「価値体系」
価値観ではなくて、価値体系。

こういう文化圏で、こういう環境で育ったから「しかたない」んじゃなくて
いつでも自分で自分のマインドも価値体系も
変化させて、何度でも
自分で自分を変えられるんだということ
忘れないようにしたい。

できない/しない言い訳を考えるくらいなら
どうやったら、って考えたい。

自分だけなんですよ。
自分の心を傷付けられるのも、
自分の心を変えられるのも。

パラダイムを広げるとか変えるとか
コンフォートゾーンを出るとか、外から見るとか
色んな言葉で言われてる事の本質的な意味は酷似していて

卵の殻をやぶれ、何度でも
ユング心理学っぽいかな

自分を制限する、自分の心の檻は
実は自分で作ったものだから
自分で壊せるし、自分で作り替えられるんだよ、と

するべきだ、しちゃダメだ、って
そういう思考に「なんで?」と自問自答すると
自分で作った自分の檻の形が見えますよ。


最近の私のお気に入りは
「まいっかマインド」

今の私の大嫌いマインドは
使役動詞「させる/させない」

本願


100人いたら100とおり、
千も万も、億も那由多も
みんなオリジナルの人生

その中でも、やはり私は
稀有な経験をさせてもらってると思う

私は本心から
私の経験を他の誰かの役に立てて欲しいと願ってる
子供の頃から変わらない、それが私の本願。

あい


愛。
日本語ひらがな50音の、はじめの二文字であり、
青は藍より出でて藍より青し
あいはeyeの読みであり
愛はloveをさす

恋は、変わる心、惹かれて好きになることで心の変わる様、と書いたり
愛は心を受けると書いたり

愛とは?

今の私にとって(前提)
愛はloveであり、
loveは世界平和です。




日本における、愛とは。

明治以降にloveという言葉が日本に入ってきて、それを翻訳するためにあてた言葉が、愛。
それ以前の日本では、愛は何と表現したでしょう。
愛を知る前の日本で、人の心をつなぐものは、
情となさけ、だったそう。
だから日本人は、愛情、と言うんですね。

その当時に、愛という言葉に慣れない日本人が、慣れなくとも照れながら不器用にも、愛してると言ってくれる様を思えば、
相手を喜ばせようとの意思を感じられる、なんとも言い換えられぬ嬉しさのあったことでしょう。

気持ちを伝える言葉は、愛でなくとも足りていた。慣れた表現が他にたくさんあった、その中で慣れない新しい言葉と表現を選んで使うのは、相手を喜ばせるために他ならないのでは。

ですから日本人は、愛してるという言葉が大好きです。
そういった経緯で、愛してるは、恋人の心をぐっと惹く言葉となったからです。

好きだ、というのと、愛してる、というのとで
言語からみた視点での大きな違いは何かというと
好き+だ/である、というのは、形容動詞です。状態を表す=形容する動詞です。
愛してる、というのは、動詞です。

英語では
アイライクユーもアイラブユーも
この使い方のときはlikeもloveも動詞です。
日本語にあてるなら、私はあなたを好いています/私はあなたを愛しています(どちらも動詞)

形容動詞と動詞では
どのくらい能動的であるかの印象に差が生じます。
なんとなく好きなことは大いにありますが、なんとなく愛することは想像に難いですね。
能動的であるとは、自ら動く意志があること、
好きである状態を表す形容動詞より、
愛する、愛してる、と、動く詞の動詞の方が、自ら動く能動的な意思をより強く感じるものです。

だから日本人は、愛してるという言葉が大好きです。
強い意志を感じて心が動くからです。

大好きな言葉は、どんどん使うので流行します。
今までのものより心を動かす言葉の力あるものが、流行ります。
日本は異国文化を魔改造する国と民族なので、好きなものはもっと好きなものに魔改造して更に流行ります。
愛をより好きな言葉にしたものが、愛情といえるでしょう。

そうして本来のloveの意味から離れます。
日本で魔改造されたものは、それを日本に持ち込んだ元の国では理解されないものへ変貌します。

つまり、結論として
私が言いたいことは
今となってはアイラブユーと愛してるは違う意味を持つ、ということ。

日本人がアイラブユーと言うのも
外国人が愛してますと言うのも
どの文化圏において自分自身の価値体系を築いたか、それによって言葉を発する心の在り様が違います。
言語の違いは文化の違いであり、文化の違いは価値体系の違いです。
それを理解した上で発した異国語でなければ、異国人と同じ意味での異国語を使えたとは言えないでしょう。
もちろん、異国人と交流をしたいなら、異国人と違う意味であっても異国語を話して使うことはどんどんすべきです。
国内であっても、方言や訛りに同じことが言えると思います。
慣れない言葉を慣れないながら不器用ながらも発するからこそ、聞いた人の心が動くというのは、愛してるの言葉で述べた通りです。
使いながら理解を深めていくものが、言語学です。

そして、相手に愛を伝えようと努力する人の様子は、
言語も国も文化も、どんな壁も越えるのではないでしょうか。

命の責任

怒りや憎しみなど
とうに消え果てようと

絶対に許されないことをされたら
絶対に許しちゃいけないのだ

関係修復ができて
仲良く接するようになったとしても

あるいは関係修復が不可能で
関係を絶ったとしても

許しちゃいけないことは
許しちゃいけないのだ

相手がどういう心境で
どんなに身を切る思いで
許されないことをしたのか
それを理解しても
それに同情しても
許しちゃいけないのだ

責任を負ったなら
責任を取り
責任を果たし
それを継続せねばならない

それを放棄され
命を放棄されたら
決して許してはならないのだ

父のことも
夫のことも
私のことも
あるいは他にも
私の命に責任があり、放棄した人たちを

怒りも消え
恨みもせず
憎んでいなくとも
どんなかたちでケジメをつけたとしても
私は許してはいけないのだ

許しては、いけない。
許さないことが、私の責任であり、役割でもある

過去を掘り返して責めるのでもない
いつまでも弱味のように握るのでもない
ただ単に純粋に
許されないことをしたのだと、許さないのだと
無かったことにはさせない

誰にも
誰の命も
軽んじることを許しちゃいけない

それは、私は他の誰よりも
私が私自身を許してはいけないことだ

許されないことを私は私自身にしたのだから
生涯をかけて、私は責任を果たすのだ
私自身の命の責任を